死ぬ日が来るまで

生きることに疲れました。希望のない日々の記録です。

お金は「ある」と教えてもらわなかった

じゃあ、お金はどうでしょう。

お金は目に見えます。でもその後ろにある豊かさは目に見えません。

だから目に見えるお金だけを見て、豊かさが「ある」ことに気がつかないと、「こんなにちょっとしかない」とか、「もうなくなった」とか、「全然足りない」とか、「お金、ないっ!」などと思います。

たとえ1億円持っていても、豊かさが「ある」ことに気づかない人(=豊かさを受け取っていない人)は「まだ足りない」「もっとないと不安だ」「なくなったらどうしよう」と思います。

「お金がないっ!」という人は、お金がないのではなく、お金の後ろにある豊かさを「見ていない」「ないと思っている」「受け取っていない」、そして「教えられていない」「逆のことを教えられた」だけなのです。

 


ここでひとつ疑問が浮き上がってきました。

著者のいう「豊かさ」って何でしょう?

お金=豊かさ、ではないのでしょうか。

「お金はこんなにちょっとしかないけど豊かだ」とか、「お金はもうなくなったけど豊かだ」とか、「お金は全然足りないけど豊かだ」とか、「お金ないっ!けど豊かだ」とか、思えますか?

 


お金の後ろにある「豊かさ」というのが、今ひとつ理解できないのですが・・・・・・。

 

 

空気がなくなるかもしれない、とは誰も思いません。

吸いすぎたら私の分がなくなるとか、

隣の人が吸いすぎて、私の空気が少なくなるとか、

明日、老後に私の分の空気はないかもしれないとか、

空気がなくなるから、今のうちから何かあったときのために、ためておいて増やさなければいけないとは誰も思いません。

 

 

 

だから、空気のことは誰も心配していませんて。

それは人間の生存条件ですから、空気がなくなることがあれば、人類が死滅するだけのことです。

お金持ちも貧乏人も関係ありません。

平等に死に絶えるだけです。

 

やっぱり理解できません。

空気と同じように、お金についても著者の論理は転倒していると思うのです。

お金がたくさんあれば、豊かさを感じることができます。

いくら豊かさはある、と信じたところで、ないものはないのです。

信じた途端にお金がどこかから湧いてくるのでしょうか?

著者は、その通りと言っているのです。

 

 

 

お金(=豊かさ)は「ない」のではなく、あります。ただ、あなたが、

受け取っていない、

受け取ろうとしない、

もらえると思っていない、

ないことにしている。

そう教えられてきたから。

それしか知らないから。

そう信じてきたから。

 


う~ん、どこまで行っても平行線です。

私の場合、

お金は、本当にないのです。

今、手もとに2万円ありますが、借金は200万円あります。

この200万円は、あると信じているからあるのではなく、実際あるのです。

「ない」と信じたところで「ある」のです。

豊かさが「ある」と信じれば、この借金を誰かが返してくれますか?

信じたくないけれど、借金200万円はある。

そして、お金はない。

それが私の現実です。

なんか、だんだん腹が立ってきました。

 

 

愛情と同じですね。目に見えないけれど、「ある」。

「ない」と思っていても、「ある」。

ただあなたが受け取っていないだけ。

お金=空気=愛情だったんですね。

 


最後の等式、意味が分かりません。

愛されている人もいるでしょう。

でも、愛されていない人だっているのです。

大体、お金=愛情ですか?

意味分かりません。

 


もうこの辺でやめましょうか。

世の中に豊かさはあるのかも知れません。

しかし、それは偏在しているものです。

豊かな国もあれば貧しい国もあります。

豊かな人もいれば貧しい人もいます。

豊かさは、あると信じればあるものでしょうか?

誰でも平等に受け取れるものでしょうか?

今日はもう疲れたのでこの辺にしておきます。

明日、続きを読む気になったら、先に進もうと思います。