死ぬ日が来るまで

生きることに疲れました。希望のない日々の記録です。

今年は、まだ蝉の声を聞いていない。
もしかしたら既に鳴いていて、私がぼんやりしていて聞こえていないだけかもしれない。

 

 

2年前から蝉の声が嫌いになった。
留置場で聞いた蝉の声。
暑い夏だったらしいが、冷房完備の室に閉じ込められていたので、一度も暑さを感じなかった。
ただ、ミンミンという外から聞こえてくる蝉の声だけが記憶に残っている。
あれから蝉の声が嫌いになった。

 

 

蝉の声は、聞きたくない。
思い出したくない記憶が蘇ってしまうから。
刑事に手錠を掛けられたときに、私は社会的に死んだのだ。
これから社会的に意義のあることを企画しても、世の中に役立つことを実現しても、実名を出した瞬間ネットで検索されて、逮捕されたときの動画を拡散されて、葬られてしまうのだ。
あたかも私が主犯であるかのような報道。
その後不起訴になり釈放されたことが報道されることはなかった。

 

 

世間から見たら、私は未だ刑事事件の犯人なのである。
事件に関係してしまったこと自体は、身から出た錆と言えなくもないので、諦めている。
大した能力もない人間が、野心など持ったことが間違いなのである。
無能な人間は、世の中の片隅でおとなしくしていればいいのだ。
結果としてそういう分相応な生き方に戻れたのだから、これでいいのかもしれない。

 

 

あれから娘は口をきいてくれなくなった。
家内だけが私を見捨てなかった。
接見禁止が解けて、警察署まで面会に来てくれたとき、精一杯の笑顔で私を励ましてくれたときのことは、死ぬまで忘れないだろう。

 

 

もうじき主犯の男に判決が出るらしい。
それで全てが終わるわけではないが、一つの区切りではある。
もう何もかも忘れてしまいたいのだが、蝉の声を聞くたびにこれからも毎年思い出すことになるのだろう。